2011年11月03日

悪の読書術

「悪の読書術」

 見事なファッションの本だった。
人前で読む、知性を見られる社交としての読書とはどのようなものか、本がどれほどその人の意識を周囲にみせるものであるかを作家を具体的に挙げて毒を含め語る。
本をどのように着飾るかという、日頃ファッションに気を使う人も案外忘れがちなテーマが興味深かった。
 序章で断ってあるとおり、この筆者のシリーズで言う「悪」とは、「自らの無垢さ善良さを前提とする甘えを抜け出し、より意識的戦略的に振舞うためのモラル」を指す。社交テクニックとしての読書ファッションを語るということに留意して、毒気に煽られ感情的にならず、読むといいだろう。
「うるさく言わず本くらい自分の好きに読ませてくれ」、仰るとおりこの本はそこまで強要するものではない。
だが服装に関してはTPOを弁えろと時にうるさく社会の常識に窘められるものの、ある意味服などよりもいっそう個性をむき出しにする「読書の嗜好」についてはTPOが意識されないのも不思議な話。自身の嗜好が、視覚的にはっきりと場にそぐわないものだと客観的に認識されやすい服のほうがより他者の目を気にするようになりやすい、という差なのだろうか。とすると読書する本に無頓着な人というのは着こなし同様に、他人の視線、場の雰囲気・空気が読めない「ダサい」人であると知的階級なる人々に見られるのだろう。この制約が服装よりも息苦しく感じられるのは、単に目新しい束縛への慣れの問題か、はたまたより直接的に嗜好の領域を縛るという個性への切り込みの深さからだろうか。わたしは服装のファッションに昔から疎く、よくからかわれたのでこの話にはドキッとさせられた。
 関連して服装のファッション論、着飾ることの身体論的意味、社会的な大衆の視線にまつわる心理の考察などを深めてみたくなった。



posted by 有人司書 at 20:17| Comment(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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